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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

意識とクオリア03




*クオリアと意識20*その248*知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*イメージ思考でいこう*


クオリアと意識について20(主に過去に書いたものをまとめる・手を入れる)


ふたたび、「変換」について


ここで再び変換についての研究に戻ります。

すでに述べたもの以外の変換として、イメージ思考で拾い上げたのはこんなイメージです。

意識の器(意識の主体)は、なんらかのエネルギー的な存在である、というのはそのままとする。

まずは、「意識の器」を、時間変化を伴った三次元(とりあえず)の存在とみなして、
それが、脳を覆っている・脳に重なっている(あるいは何らかに連絡している)として、
意識の器の任意の点におけるエネルギー密度をρと表して(ρの次元はエネルギー/体積)、
そのρは、脳のニューロンたちの活動における電位(あるいは加えることの磁界)の変化に感応して、ρが時間と共に変動するのでρ(t)で(ここでエネルギーがいくらか意識の器に入ってきそうである)、
任意の点のエネルギーを全体に渡って積分して;S=∫dxdydzρ(t)dt
;S=意識の器全体のエネルギーの総量
ρ(t)は位置によって異なるので、
ρ(t)→ρ(x,y,z,t)
S=∫dxdydzρ(t)dt→S=∫ρ(x,y,z,t)dxdydzdt
(数学的にもいい加減な表現です。イメージを表現しています)
となって・・・
S/dxdydzdt=ρ(x,y,z,t)
(数学的にもいい加減な表現です)
これは、エネルギーについての密度関数の微分方程式といったところでしょうか。
その系の総エネルギーSは時刻によって変動するのかしないのか、場合分けする必要があるでしょう(任意の点におけるエネルギーは変動する)。
Sが変動するとしたら、エネルギーが外部に出ていったり、外部からはいってきたりする、ということになります(先に、ここでエネルギーがいくらか入ってきそうである、と記述した個所あり)。
そのイメージとしては、先にだした、「池」のたとえ(二次元的ですが)が参考になるでしょう(池の表面に数多くの砂を落とすと、そこに複雑な波紋が生じる)。
しかし・・・
まだまだ必要な項目やより具体的なことに対応したなにかが足りない・・・
それを解こうとしても解けないでしょうね。

それは関数化できるようなシロモノではないだろう、よって解けないだろう、場合分けと確率的な記述ならできるかもしれないけれど、といったような可能性については既に記しました、知性などについての研究のところで。(このモデルは初出ですが)。

解けた場合は、その「変換」がどこかにでてくるでしょう。

でもとにかく、解けそうにない。

と思ったものの、もうちょっと踏ん張ってみましょう。

まず、脳におけるニューロンの活動の位置は点ではなく、ある程度の範囲をもった領域(シナプスでの活動についても)です。その意味では、そこにおいては極限の操作をなす微分や積分は必要ではない(あるいは使えない)のかもしれません。

一方、意識の器のほうは、エネルギーのまとまった存在として、そのモデルと理論は(筆者は、という意味と同じ)考えています。

(一応考えられるのは;
そこでは、
微積分を使えるという立場、
脳に対応させるのだから極限の操作は無意味であり、微積分は使えないという立場、
のふたつがあるでしょう。
しかし、
意識の器は精密・緻密なエネルギーのまとまり、と考えられるので、近似的に微積分を一応適用できる、とみなしましょう。
<ここは一応記しただけです>)。

先の記述においては、
脳のニューロンたちの活動による、それらの電界(あるいは加えることの磁界)の変動が、そこを覆っている(あるいはなんらかに連絡している)意識の主体の多くの点(点といっても広がりのある領域でしょう)に、なんらかの変動を与え、その変動が意識の器全体に(ほんのわずかな時間経過で? 瞬時に? 時間ゼロで?)波及していく、
ということになるでしょう。

意識の器は、一体性・全体性をもっている意識し味わう存在・実体ですから、それら波及していく変動(波動パターン)が、意識内容であり、そこに意識も意識内容の質(クオリア)も発生する、ということになるでしょう。

さて、問題の「変換」です;
脳は、意識の器の規格・性能・特性に則ってつくられている、とすれば(仮定ですが、それ以外ないでしょう)、
脳のニューロンたちの活動(局所的・部分的な)によるエネルギーの変動たちがそのままで、あるいは、それらを脳のあちこち(それらに接している・連絡している)にそのまま送り込んだら、それらが意識の器全体に波及し、そのままで意識の器の中で、全体性・一体性をもった情報(心的内容・意識内容)(心的内容と意識内容は異なるのであるが、一応こう記しておきます)に総合・統合されてしまう、
ということである可能性が高い。

たとえば、動画・撮影のためのデジタル式カメラは、走査という操作をやっており、それを画面に映し出せば、元の映像(に似たもの)が再現されます。
(フィルム式カメラでも、電子的に情報を送るためには、走査という操作を行う。デジタルカメラでは、受光面(CCD)自体では景色全体を受けて映しているが、それをそこから送り出して記録したり電送したりするにあたっては、走査する)。

注)走査というのは、対象の情報を一瞬にして読み取ることはできないので、対象を多くの区画に分けて、いくらか時間をかけて、それらの区画の情報を順番に読み取っていく、ことをいう。
それを再生するばあいは、走査の逆を行い、走査放出、という感じになる。

それと同じようなことが、意識の器~脳の系では起こっているのだろう、ということです。
(あるいは、既に述べたように、ホログラム変換、フーリエ変換、の可能性も排除できません)

ですから、その立場では、その「変換」は、意識の器の中で自動的になされる可能性が高い、と考えられます。

注)既に述べましたが、脳に端子を設け、視覚信号や聴覚信号として、カメラやマイク的な信号を直接送り込むと、脳はそれに有効に対応していくそうです。
そのことは、脳は意識の器の規格・性能・特性に基づいて設計されつくられている、という印象をもたらします。つまり、その有効な対応という現象は、意識の器の規格・性能・特性に基づいて行われるとしか考えられないのではないか、ということです(断定はしない)。

注)さらに、人間において、ある種の薬剤によって、見ている景色がゆがむ、といった現象も起こるそうなので、それも同じく直近の結論に至らせます。脳が本来どおりに働かないと、映像が歪む、と解釈できるからです。


(参考:
脳内では、局所的処理をされた情報は統合されない?

脳の活動と意識を例えるのに、すでに何度かコンピューターをもってきた(当てた)が、意識というのは、モニター画面に当たる。

コンピューターの演算装置や記憶などは、時間的なズレや位置の違い、のある情報処理、を行っている。

それらの結果がモニター画面でモニターされる。

さらに、超多並列処理のコンピューターシステムで例えると、もっとよく理解できる。

そういったコンピューターは、その内部で、空間的にも時間的にも、ものすごい分散処理・並列処理(局所的処理)を行っている。

それら処理された情報は、モニター画面で統合され一体化され、その情報の全体像を表す・現す(実際はモニター画面内で情報が走査放出され映し出されている。つまり、ほんのわずかな時間差のある情報たちを、時間差が見えないようにして見せている)。

コンピューター本体の内部で、それら情報たちを統合し、一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、モニター画面の中でしか一体化・全体化はなされない。

それは、まったくもってほんとに、脳と意識の主体、の関係に似ているといえる。
よって、その例えは的をいているといえる。
そのように似ているから脳と意識の関係を、コンピューターの本体とモニター画面に例えたのであるが、
それとは別に、コンピューターを先にもってきて、脳と意識の関係もそれと同じなのではないか、という主張もありうることである。

そこから人間について考えると、
情報が統合されるのは、意識の主体内で、ということになるだろう。
そして、意識の主体は脳の中には見当たらない。


以上は、脳の中で局所的に情報処理された情報は、脳の外にある意識の主体(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)に送り込まれた時点で、統括され一体された全体像をもつ情報「波動パターン」になる、というイメージを浮かび上がらせる。

つまり、仮に、脳の内部で、局所的処理を行った情報たちを統合・一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、意識の主体の中でしか統合・一体化・全体化はなされない、ということになる。

以上、参考)


そこで、その「変換」を研究するにはどうすればいいか考えてみましょう。

脳におけるニューロンの活動を観察記録し、さらに、意識の主体における波動のようすを観察記録する。

最小単位時刻毎にそれらを比較する(もちろん、記録をなさず、同時に比較してもよい)。

すると、その「変換」がわかる。

ほかのやり方もあるでしょうが、基本的にはそういうことですね。

注)ニューロンたちの活動において、時間的にズレのある情報処理による結果の情報が、意識の主体内では同時の情報となっているケースも多いので、最小時刻・時間について難しい問題があるのかもしれない。
可能性として、ある時間範囲内にあれば同時という処理がなされる、といったことだろうか。ほかにも、よくはわからないが、切り上げ、切捨て、などという処理が行われている、と表現してみよう(表現しただけで、その意味はよくはわからない)。

注)この直前の、注)において、「時間的にズレのある情報処理による結果の情報が、意識の主体では同時となっているケースも多い」と記した直後に得たイメージであるが、
そのことは、脳の活動の中には意識はない、ということを示している、といえそうである。



つまり、脳におけるニューロンたちの活動をなんらかに記述し、それをなんらかに変換すると、意識の器の中での複雑な波動パターンとその経時変化がでてくる、という関係になっているわけです。
(たとえば、フーリエ級数と一本化した複雑な波動。たとえば、行列と一本化した複雑な波動。たとえば、元の映像とホログラム。など)


MRI的手法を用いると、そこのところに迫れるかもしれません。
MRIでの解析においてもフーリエ変換(二次元、三次元)が用いられているので、なおさら参考になるかもしれません。
MRIにおいては、脳のすべての位置からでている情報が、すべて混じり合って、一本化された信号(たとえば、絵の情報を電送するとして、電送するその信号のようになっている)(ある意味、ホログラムにもいくらか似ている? 原理は異なるけれど、似た面がありそうです)になるので、それをフーリエ変換で、元の情報に戻し(そのときに位置の情報まででてくる)、脳のすべての地図のようなものを作る、ということをやっているようですから、参考になるかもしれません。
それは、局所的なさまざまな情報が一本化されている姿(変換するまでもなく、自然にそうなる)を示しているという面ももっています。
(それは、オーケストラの演奏をマイクで拾うと、一本化された音楽情報になっている、というのと基本的に同じです)。
それを脳と意識の器の関係にもっていくと、
脳のあちこちのニューロンが活動し、そのときにそれぞれが電位や磁界の変化を生じ、それら変化たちがそこから出ていき、(ほんの)少し離れたところでは、それら変化たちが入り混じって一本化された情報(変化・変動)になっており、それが意識の主体に送り込まれると、本来の心的内容・意識内容になってしまう、というイメージですか。
あるいは、少し前に述べたような、意識の器には、ばらばらな情報のままで入る、というモデルの方があたっているのかもしれません。
ともかく非常に参考になりそうです。

注)MRIについては、参考になりそうな気がしたので、ネットで探して、難しいことがたくさん書かれているのを、さっと見ただけですので、勘違いがあるかもしれません。
そのほか、もちろん、私の書いているものすべてについても、勘違いや間違いはあるでしょう。イメージスケッチ・書きなぐりですから。


脳波もそれらになんらかに関係しているかもしれません。
脳波をフーリエ変換すると、ニューロンたちのそれぞれの活動のようすがわかるとか(ひとまとまりになったもの→個々)、
脳波は、意識の器の中での波動パターンになんらかに対応しているとか、
そういった関係になっているのかもしれません。

参考までに:
位置ベクトルの場合、なんらかの位置ベクトルを加えると、視点を変換することができる。たとえば、かなり以前に述べた(ブログで)惑星の運動量時間回帰における視点で、惑星自体から見る立場を、太陽から見る立場に変換する例を挙げた。
そこには、ホログラフィーと共通したなにかがあるのではないか。


で、意識の器の次元を、一応、時間変化を伴った三次元として、
フーリエ級数的に、その基本波動をはじめとしてうんぬん、ということも既に書きましたが、それは波動関数ということになるんでしょうね。

「変換」を追求していくと、複素数空間(複素空間)がでてきて、複素数空間は実在する、そこに「意識の器」は存在する、という結論に至るのかもしれません。


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